今年は始まったばかりで、まだ349日を残している。しかし、これは今年のべスワンと思える本に早くも出合った。
『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』(藤原新也、東京書籍)だ。ノンフィクションだと思うのだが、読んでいくうちにこれは質の高いフィクションではないかと思ったりした。まるで珠玉の短編小説の集合体のようにも思えた。登場人物に対する著者のまなざしは濁りがなく透き通っていて、しかも温かさを感じる。それぞれの篇は、すべて「哀しみ」というテーマで彩られているようにも見える。読んでいて胸を打たれる場面が少なくなかった。家人は「この人、少しセンチメンタルになったね」と批評した。的を射ている批評だろう。ただし、この場合「センチメンタル」は悪いことではない。
著者は次のように言う。「人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。哀しみもまた豊かさなのである。なぜならそこには自らの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。そしてまたそれは人の中に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ。」
「哀しみもまた豊かさ」という逆説的な表現が、意表を突く。「負の聖火」というひと言が、きらりと光る。