「事実は小説より奇なり」という決まり文句で始まるテレビ番組が昔あった。仙台で乗ったタクシーの運転手から次のような話を聞いて、そのテレビ番組を思い出した。
仮にその運転手をAさんとしよう。Aさんたちは仙台からの添乗員付きの四国ツアーの一行として、大地震の当日、その瞬間は鳴門大橋を渡るバスの中にいた。大阪の伊丹空港へ向かっていてその日のうちに仙台空港へ帰る予定だった。地震を感じてバスのテレビをつけてもらうと、大津波が襲ってきていて仙台空港が津波にのまれ、空港の駐車場においてきたAさんたちの車はすべて流されて行く映像が映し出された。全員、「わー」と叫ぶ以外言葉がなかった。新車で空港まで来てその車が流されていった人もいたらしい。
伊丹空港から仙台への便は欠航。添乗員は会社と電話が通じず、右往左往。どこのホテルも満室。やっとユニバーサル・スタジオのほうにホテルが見つかって一泊。旅が終わり仙台へ帰るばかりだったので、みんなほとんどお金を使い果たした状態で食事代にも困る状態だった。全員でやりくりしながらなんとか一夜を過ごし、羽田空港までの便がとれたのでそれで東京へ。
そこからバスをチャーターして仙台へ向けて出発。道路が寸断されているため、まず新潟へ向かい、二人の運転手が交代で仮眠をとりながらさらに山形を経由して仙台駅に着いたのは午前3時だった。市内は真っ暗。仙台駅は壊れていて中に入れず、タクシーは見当たらない。電話は全く通じない。全員凍えて朝を迎え、歩いて帰ったり、知人などにやっと連絡が取れて迎えに来てもらって帰宅したという。
聞きたいことはもっといろいろあったが、僕が乗ったタクシーは目的地に着いてしまったのだった。Aさんは「とんだミステリーツアーでした」と締めくくった。