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これは、今年の4月から5月にかけて仲間内でのメーリングリストに投稿した「じいさんの姿」シリーズだ。メーリングリストの世界で埋もれて消えてしまうのはいささか惜しい気がするので、ここに再掲しておくことにする。
------------------------------------------------- * スーパーなどでじいさんが後ろ手に組んで商品を見ている姿をよく見かける。なぜ、じいさんはこのような格好をするのだろう? 僕はそのような格好はしない。したがって、僕はじいさんではない。 * 桜の季節。カメラを手にしたじいさんを見かける。決まって彼らは花びらに近づいて接写している。思わず「木を見て森を見ず」ということわざが思い浮かぶ。このことわざに倣えば「花びらを見て木を見ず」となろうか。じいさんは大局的なことはもうどうでもいいのかもしれない。また、決まって彼らはニコンとかキャノンとか高級なカメラを使っている。僕は花を接写したりする趣味はないし、そのような高級なカメラを持っていない。したがって、僕はじいさんではない。 * その日の酒のツマミを調達するのは僕の役割だ。だから、毎日のようにスーパーやデパ地下をのぞく。きょうはレジで僕の前にいたじいさんが指をべろりと舐めて財布から千円札を取り出した。レジを通った後、また指をべろりと舐めてレジ袋を開け買ったものを入れていた。じいさんは指が乾くようだ。しかし、みっともないではないか。僕は指をべろりと舐めたりはしない。したがって僕はじいさんではない。 * 家から近いJRの駅。競艇場行きの無料バスにじいさんたちが並んでいる。人生にくたびれたような雰囲気があたりに漂っている。中にはポケットラジオにつないだモノラルのイヤホンを片耳に差し込んで聴いているじいさんもいる。バスのりばには禁煙と表示されているが、どこ吹く風とタバコを吸っているじいさんもいる。僕は競艇には行かない。モノラルのイヤホンでラジオは聞かない。ステレオイヤホンでiPodのジャズを聴く。したがって僕はじいさんではない。ちょっと論理に無理があるかな。 * じいさんはtwitterやfacebookをやらない。やってみようかという気があるじいさんもいるが、いざやってみようと思っても、なんだかんだと言い訳や屁理屈を述べてやろうとはしない。僕はtwitterもfacebookも楽しんでいる。時代の進展を肌で感じるからだ。したがって僕はじいさんではない。 * 僕の家に近い駅は始発駅なので、ほとんど座れる。きょう座って発車の時刻を待っていたら、じいさん・ばあさんのご夫婦と思われる2人連れが乗り込んできた。「もしや?」と思った。案の定、じいさんの方は「よっこいしょ」と掛け声をかけて座席に座った。なぜ、じいさんは「よっこいしょ」とか「どっこいしょ」と言って座るのだろう。僕は絶対にそんな格好悪いことはしない。したがって僕はじいさんではない。 * きょう意外なことに気づいた。これまで「じいさんの姿」を続けて投稿してきたが、Sさんはじめ数人からのコメントはあったものの、皆さんからはほとんど何のコメントもなかった。このように何の反応もない仲間こそじいさんの姿と呼ぶべきであろうと気づいた。僕は仲間を揶揄しようという気はなかったのだが、ひょっとしたらみんなを揶揄したのかもしれない。しかし、じいさんを否定しているわけではない。ところで、誰かが吠えたら僕はきっとすぐ反応するだろう。したがって僕はじいさんではない。パラドックス的な論理かな。 * 10人ぐらいのじいさんの集団とすれ違った。案内役のじいさんに従って、「歴史の道」などの探索をしているグループのように見えた。驚いたことに全員似通った服装で、野球帽をかぶっていた。あるいは服装を指定されたのだろうかとも思った。しかし、そんなことはあるはずはない。気になってその後街ですれ違うじいさんたちの姿を見ると二人に一人は野球帽をかぶっていることが分かった。僕は街を歩く時に野球帽はかぶらない。したがって僕はじいさんではない。 * 電車の中で、じいさん・ばあさんが孫と思われる小さな子供を連れて話していた。「デズニーランド、楽しかった?」「うん」。僕は「デズニーランド」とは言わない。「ディズニーランド」と言う。したがって僕はじいさんではない。 * 蕎麦屋などで、食事の後に爪楊枝で歯の間をほじくっているじいさんをよく見かける。見ていて気持ちのいい振る舞いとは思えない。挙句の果てには、その爪楊枝をくわえたまま勘定を済ませて外に出ていくじいさんもいる(爪楊枝はどうするのだろう?)。せめてトイレなど人目に触れないところでやってほしい。まだじいさんの年齢には遠いおっさんでも爪楊枝男がいる。じいさん予備軍だ。さすがにばあさんではこのような姿は見かけない。この点に限って言えば、ばあさんのほうがじいさんより行儀がいいといえる。僕は人前で爪楊枝を使ったりはしない。したがって僕はじいさんではない。 * 市の人間ドックの検診に行ってきた。毎年1回受診している。会場で同じマンションに住む顔見知りにじいさんと偶然一緒になった。検診の順番が違うので流れ作業のなかではすれ違うのだが、ある時間に待ち時間で一緒になった。話したくはなかったが、案の定、「血圧はどうですか」とか「コレステロールはいかがですか」とか探りを入れてきた。当たり障りのない返事をした。じいさんは病気や健康の話が好きだ。僕は好きではない。ましてやあまり親しくない他人とは。したがって僕はじいさんではない。 * じいさんはシャツをズボンの中に入れてバンドを締める。バンドに歩数計がセットしてあったりするのが見える。僕は若者のようにシャツをパンツの上に出している。バンドは締めない。ベルトを締める。歩数計はシャツの中に隠す。またはシャツの中で首から下げる。したがって僕はじいさんではない。 * 吉田拓郎の歌に「老人の詩」というのがある。その中の一節に次のような歌詞がある。「お風呂にはいると老人はとてもあついのを好むのです ああそれが老人」。僕はめったに風呂に入らない。ほとんどいつもシャワーだ。たまに風呂に入る時でも熱い湯は好まない。したがって僕は老人(じいさん)ではない。 * スマホは若者のものと決め込んで、従来からの携帯電話で十分と思っているのはじいさんだ。街でも電車の中でもスマホを持っているじいさんを見たことはない。僕もスマホは持っていない。したがって僕もじいさんだということになるかもしれないが、どっこい、僕はiPadを持っている。したがって僕はじいさんではない。だけど、スマホとタブレットを同列で扱うのはちょっと無理があるかな? * じいさんはゆっくり歩く。僕はゆっくり歩かない。したがって僕はじいさんではない。ウォーキングに出かけると同じようにウォーキングをしているじいさんをよく見かける。そのじいさんを追い越すことが、その時その場の目標となる。そのじいさんより歩数を多くする。そのじいさんより歩幅を大きくする。競争心むき出しで追い越す。このように目標がある場合は有酸素運動に持ち込みやすいのでウォーキングによる効果がありそうだ。そして退屈しない。はは。 * 家電量販店のマッサージチェアの売り場を通ったら、じいさんがマッサージチェアでぐっすり寝入っていた。度胸があるじいさんだと思わずにいられなかった。店員が特に注意するわけでもない。しかし、この光景は、考えてみれば来客に口で宣伝する以上の宣伝効果があるかもしれない。僕はそんな度胸はない。マッサージチェアを試してみたいとも思わない。したがって僕はじいさんではない。 * ドトールとスターバックスの店が並んでいたら、じいさんは迷わずドトールに入る。僕はスタバに入る。したがって僕はじいさんではない。実際に静岡の伊勢丹がある通りであった光景。 * じいさんはよく寝る。きょう図書館の読書席でも、DVDなどの視聴ブースでも眠っているじいさんを見た。読書席では雑誌が開いたまま、視聴ブースではDVDの映像が流れたまま。僕はこのようなところで居眠りはしない。したがって僕はじいさんではない。ふと思う。居眠りしているばあさんはいない。 * 僕が住んでいる街にはファミレスやラーメンのチェーン店、牛丼店、居酒屋などに混じって昔ながらの食堂といった感じの店が並んでいる通りがある。その店は日本そばや中華そば、どんぶりもの、定食などメニューはなんでもありだ。今は少なくなったが昔はどこでも見かけた。時代の進展から取り残されたような店構えだが、昼時は結構にぎわっている。のぞくと、テーブル席や小上がりの席に背中を丸めたじいさんやばあさんが多い。僕はこのような店では食べない。したがって僕はじいさんではない。 * 先日の昼、ビッグサイトの近くのイタリアンレストランで食事をした。隣のテーブルにじいさん二人連れがやってきた。釣りにでも行くような格好をしていて場違いな感じだ。「もしかして・・・」と思ったら、案の定、そばを食べるようにスパゲティをフォークですくい、しかもすすって食べ始めた。これじゃ現役時代に女の子からはもてなかったろうな。僕はそんな食べ方はしない。したがって僕はじいさんではない。 * 酒のツマミを探しに出かけた。デパ地下鮮魚売り場でカツオの試食販売をしていた。そこへじいさんがやってきて、試食用のカツオに爪楊枝を突き刺して、そばに置いてある醤油に浸して食べた。ここまでならよくある光景だが、そのじいさんは次にさらにまとめて二切れのカツオに爪楊枝を突き刺して食べたのだった。唖然。僕は決して試食に手を出したりしない。食べたあとビールでも飲まない限り口の中に匂いが残って気持ち悪いではないか。したがって僕は試食じいさんではない。 * 「じいさんの姿」シリーズはネタ切れになった。しばらく休載にしたい。普通、じいさんはしぶとくてしつこいから、このような場合は新たなネタを必死で探すのかもしれない。しかし、僕は無理に探さない。したがって僕はじいさんではない。 * 久しぶりに「じいさんの姿」シリーズ。笹川良一が書いていた。「孫のことを話題にするようになったらじいさんだ。人間おしまいだ」と。笹川良一を尊敬しているわけではないが、この言葉には賛同できる。僕の友人にもツイッターなどで孫のことを書いている男がいる。そのような孫の話はさっぱり面白くない。僕には孫はいない。たとえいたとしても話したり書いたりはしないだろう。したがって僕はじいさんではない。 * 京王線明大前駅。電車が来るのを待って列に並んでいた。電車が到着して乗ろうとしたら、不審な動きを見せていたじいさんが僕らの列の先頭に急に割り込んで乗り込んだ。少し席が空いていて、彼は座った。「じいさんよ、みんな並んでいるのだから、後ろに並べよ」と言う間もなかった。僕は無理に割り込んでまで電車に乗って座りたいとは思わない。座ろうとしたこともない。若い人に席を譲られたこともない。したがって僕はじいさんではない。 * Webで検索するとじいさんの睡眠には次のような特徴があるようだ。 ・寝付きが悪くなる。 ・深い眠りがとれなくなり、眠りが浅くなる。 ちょっとした物音でも目が覚める。 ・夜中に何度も目が覚める(中途覚醒)。 ・朝早く目が覚める。 一言で言えば、熟睡できなくなってくるらしい。そのため長い時間眠ったとしても睡眠が不足しがちで、日中うとうとしやすくなるのだそうだ。僕は、布団に潜り込むとすぐ寝入る。そして必ず熟睡だ。夜中に目がさめることはめったにない。9時間は深く眠る。朝は8時過ぎでないと目が覚めない。したがって僕はじいさんではない。 * 五月晴れの日々。汗ばむような日も多くなった。しかし、じいさんは長袖シャツの上にさらにブルゾンを羽織っている人が多い。ばあさんの場合も同じだ。半袖姿のじいさんやばあさんを見かけることはほとんどない。ひょっとしたら長袖シャツの下に長袖のアンダーウェアも着込んでいるかもしれない。暑くないのだろうか? 他人ごとではあっても汗臭い感じがしていやだ。僕はそんな日は半袖シャツを着る。したがって僕はじいさんではない。 * 向こうからじいさんが大あくびをしながら歩いて来た。銀歯や入れ歯が丸見えで、喉の奥まで見えた。次に見かけたじいさんは「ハァッ」と声を発して路上に痰か唾のようなものをぺっと吐き出した。汚い。昔このじいさんたちが青年だった頃には、決してこんな行為はしなかったろう。いつの間に覚えたのだろう? 恥ずかしいとは思わないのだろうか? 僕は決してこのような行為をしない。したがって僕はじいさんではない。 * 知人の話では、この時期、大相撲が楽しみでテレビを見るじいさんが多いという。僕はニュースか翌日の新聞を見ればわかることなので、わざわざ見たりはしない。したがって僕はじいさんではない。だいいち、次の取り組みまで仕切りなど時間が開きすぎていて、とてもついていけない。土俵に上がったらすぐぱっと取り組んでほしいと思う。 * 「孫はアメリカでホームステイをしている」と言うべきところを、「孫はアメリカでホームレスをしている」と言い間違えたじいさんがいたという話を、先日家人から聞いた。じいさんはよく言い間違いをする。僕は言い間違いをしない。したがって僕はじいさんではない。 * これは皆さんのことではない。友人や知人たちに電子メールを送っても、じいさんからはすぐ返事が来たりすることはない。若者からはすぐ返事が届く。じいさんたちは反応が鈍い。じいさんたちは日本郵便で従来の手紙や葉書を出したほうがまだ速いのではないかと思うことが多い。僕は取り込んでいて忙しい日でもその日のうちには返信する。したがって僕はじいさんではない。 * 「じいさんの姿」シリーズはネタ切れになった。しかし、なにか続編はないかと考えたりする。すると、その時なぜかいつも民主党の輿石幹事長の顔が思い浮かぶ。この人は僕が思うじいさんの姿を絵にした場合にピッタリの顔・形・姿なのだ。この人の思想と行動は嫌いだ。 * リビングルームの床に座ってノートパソコンを操作していたら、家人から「顎が出ていて、じいさんみたい」と言われた。きょう、街でじいさんの姿を見ると、確かに顎が出ているじいさんは少なくない。恐れ多くも、天皇陛下のお姿をニュースなどで拝見すると、かなり顎が出ていらっしゃる。妃殿下の方も少し顎が出ていらっしゃるようにお見受けする。顎が出てはいかん。きょうは顎を引っ込めて出かけたのだった。じいさんとは呼ばれたくはない。 * 「じいさん」という言葉からは「好好爺」という言葉を連想することがある。この好好爺というのは具体的にどんな姿あるいは状態なのかあまり深く考えたことはないことに気づいた。辞書を引いてみても納得のいく説明はない。そこで、具体的な人の顔を思い浮かべてみたら、笠智衆の顔が思い浮かんだ。この人の実生活は知らないが、映画で見た姿・表情は僕には好好爺そのものという印象がある。そして、こんな爺さんは実社会では少ないなあと思うのだ。 * これまで「じいさん」シリーズを連載してきたが、きっちりと定義をしていなかったことに気づいた。高齢者(老人)の男性を「じいさん」と呼ぶのだと思ってきた。僕の好きな『新明解国語辞典』によると、「じいさん」という項目はない。しかし、「じじい」だと次のような説明がある。 じじい:「じじ」の長呼。→ばばあ。祖父の老人の語。誰の目からも高齢であることが明らかな男性(蔑称としても卑称としても用いられる)。 じじいにはなりたくない。 * 「じじい」という場合は蔑称・卑称ということが分かった。とすると「じいさん」と言う場合は尊称ということになるだろうか。そうだとすれば、これまで掲載してきたじいさんはほとんど「じじい」ということになる。輿石幹事長も「じじい」に分類できる。笠智衆だけが「じいさん」となる。 終わり
by kmurayama2
| 2012-07-12 10:11
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