今日の魚屋には大きな天然タイの頭があった。それを見た瞬間、思った。僕が買わなければ誰かが買って食べてしまう。それはだめだ。これは絶対に兜煮か兜焼きかどちらかだ。さっそく買い求めて兜煮を作った。魚は天然のものに限る。プロの料理人には負けるかもしれないが、まあまあの味の兜煮ができた。
兜煮を作りながら思った。昔はこんな面倒なことはしなかった。兜煮などは料理店や寿司屋で食べるものだと思っていた。自分で作ろうと思ったりするのは、それなりの年になってきたということなのだろう。若い人は一部の人をのぞけば、こんな時間がかかる料理を作ったりはしないだろう。
かつて、「生命保険に入ったときが青年ではなくなったときだ」という沢木耕太郎の文章を引用したことを思い出した。今日はタイの兜煮を作るか作らないかで、若い人か若くない人かの区別ができそうだと思ったのだった。
この兜煮は結構家人の評価もよく、日本酒が進んだ。大皿に盛るときに少し煮崩れした姿になったのが残念。最後の段階でプロとアマの差が出た。