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![]() 明治神宮に行った。考えてみればかつて薪能を観に行ったことがあるだけで、これまで明治神宮の奥まで歩いたことはなかった。原宿から入ると、ウィークデーにもかかわらず訪れている人は少なくなかった。参道を本殿に向かって歩くと、聞こえてくるのは日本語よりも中国語のほうが多かった。日本ではなく中国の寺社に参詣しているような気がした。 本殿までは行ったことがあるので、きょうはさらに奥の北参道の方にある宝物殿まで足を伸ばした。そこまで行くとさすがに中国語は聞こえなくなった。原始林のような林を抜けて宝物殿にたどり着くと、その前の芝生広場はまるで別世界のような広がりがあった。東京は広い、明治神宮は広いと月並みな印象を抱きながら表参道に出ると、世界の有名ブランドが立ち並ぶ通りにはまたしても中国語が飛び交っていたのであった。 ![]() 高いビルがあると、なぜか僕は必ずその上の方に目が行く。先日、北千住のあだち産業芸術プラザの脇を通った。地上22階建てのこの程度の高さのビルは都心では別に珍しくもないが、北千住ではかなりの高さで目立つ。 上を見ると、いた、いた。何をしているのか分からないが最上階に近いところにはしごのようなものが下がっていてそこで人が作業していた。新宿あたりの超高層ビルに比べると高くはないが、それでもかなり高いことに変わりはない。もし自分がその立場だったならと考えただけで足がすくんでしまいそうな感覚にとらわれる。 ふと、思った。性別はわからないが、そこで作業をしているのはきっと男たちだろう。女性の宇宙飛行士やパイロットがいる時代だとしても、そこは男の職場のように思えた。女性がいくらがんばってもできない男の世界がまだあるような気がした。 しかし、ひょっとしたらあそこで作業していたのは女性かもしれない。 ![]() 西新宿の超高層ビル街。議事堂通りから住友ビルを見たら、ビルの外壁に小さな黒い点が見えた。住友ビルは地上52階建てだが、そのかなり上層階の45階あたりだ。なんだろうと思い、カメラを超望遠にしてのぞくと、なにか不思議な物体が壁に張り付いているのだと分かった。そこは窓のない壁なので、窓拭きのためのものではないようだ。その中に人が乗っているのだろうか。乗っているとしたら、怖いだろうなあ。そのような人こそ勇者と呼べるのではないか。 帰宅してからも、このことが頭の中に残っていて気になって仕方がない。住友ビルの守衛に聞いてみればよかったと思う。なぜ現場で守衛に聞かなかったのだろうと悔やまれる。どうも僕は突っ込みが足りないのではないか、旺盛な好奇心による行動力というものが足りないのではないかと反省したのであった。 それにしても、この謎の物体はいったい何だろう。 余談になるが、ツイッターやフェイスブックのほうが面白いと感じているせいか、このブログを更新しようとする気がなかなか起きなかった。ブログでつべこべ書いたりするよりも、ツイッターやフェイスブックであっさりとつぶやいたりする方が、より現代的なのかもしれないと最近は感じる。 ![]() ![]() ![]() 先日、私の好きな散歩道を歩くと、どこからともなく金木犀の匂い(香りというべきか)が漂ってきた。その先に金木犀の並木が現れ、樹の下には曼珠沙華が一面に咲いていて、季節が変わったことを実感した。 金木犀の高貴な感じの匂いは、子供の頃を思い出させる。そのころは家が近づいてくるとこの金木犀の匂いが漂ってきて、その匂いは家が近いことを知らせてくれているような気がしたこともあった。街を歩いていてこの匂いがしても、不思議なことにその木が見えないことも多い。思わずあたりを見回したりする。 こんな木はほかにないような気がする。ふだんはそこに金木犀があることなど気づいたりはしないのだが、この季節になるとしっかり存在を主張していて、しかも子供の頃を思い出させたり、懐かしい思いを呼び覚ましてくれたりするのだ。 金木犀は不思議な木だ。
下校する小学生たちとすれ違った。「通学違反!」「通学違反!」と口々に叫んでいた。「先生に言いつける!」「逮捕だ!」などと叫ぶ子もいる。なんのことか分からなかった。少しして気がついた。数人で下校してくる子どもたちの中の2人が脇道に入ったのだった。脇道といってもちょっと一段低い道で、すぐ5mぐらいで元の道に合流する。おそらく、決められた通学路をそれてその脇道に入ったことに対してほかの子どもたちが非難の声を上げているのだろう。
僕が小学生だった頃のことを思い出した。学校を出るときは数人で、田んぼのあぜ道を近道したり、畑を横切ったり、気ままな下校だった。僕は学校からクラスでは一番遠いところに住んでいたから、その後はさらに勝手気ままに道とはいえないところも通って帰宅した。通学路などというものはなかった。考えてみればなんの規制もなく自由だった。田舎だったからだろうか、都会ではそのころからこのような下校風景は日常的だったのだろうか。それとも昔と今の時代の違いなのだろうか。 今の子供たちはおそらくそのような規則に慣れてしまっているから、毎日毎日決まった同じ道を歩くことについてなんとも思わないのかもしれない。僕は思わず「つまらない決まりなんか守らなくていいんだよ」と言ってやりたい気がしたが、思いとどまった。おせっかいでしかないだろう。大勢から逆に突っ込まれるかもしれない。先生に言いつけられるかもしれないし、逮捕されるかもしれない。 しかし、このような「些細な」規則を守る「いい子」たちは、自由な想像力や豊かな発想の育成が阻害されることはないのだろうか。そして将来創造的な発明・発見などをする人間が育つだろうかという疑問も感じたのだった。そして、このような下校風景は世界のどこでも見られるものなのだろうかという疑問も湧いたのだった。
街を歩いていると、クロネコヤマトの配達の車と配達をする人を見かける。そのとき見る配達の人は細身の人ばかりで、デブはいない。その風景を見るたびに、一体クロネコヤマトにはデブはいないのだろうかと疑問を持つようになった。そしてクロネコヤマトを観察するのが習慣になった。
きょうも見かけた。そのクロネコヤマトの若い人は忙しそうだった。配達する荷物を持ってのんびり歩いていたりはしていなかった。ほとんど走っているか小走りに急いでいるかだった。このように忙しく走り回るのはこの人だけではない。ほとんど全員ではないかと思う。そこで思うのはこのように忙しく走り回っているから、クロネコヤマトにはデブはいないのではないかと。 さらに考えると、クロネコヤマトの人は入社時にはデブであっても、日頃の仕事でみんなスマートな体型になるのかもしれない。あるいは、最初からクロネコヤマトではデブを雇用しないのかもしれない。このへんの事情はクロネコヤマトに知人・友人がいないので分からない。 なんとかデブにならないようにとウォーキングしていると、このクロネコヤマトの社員はみんな理想の体型をしているように見えるのだ。それだけではない。単にデブを見かけないという姿格好の問題だけではなく、自宅に届けに来た人と受け渡しをしたりするたびに、この会社のモラルは同業他社に比べてとても高いように感じて好感が持てるのだ。 ![]() めったにないことなのだが、朝の光がとても気持ちよかったので、散歩に出た。しばらく通らなかったところで、これまでは草花などが咲いていたが、きょうは一面のひまわり畑に変わっていて目を見張った。 ひまわりほど力強い生命力を感じさせてくれる花はないと思う。花から力をもらったような感じがした。同時に、先日宮城県で見た大津波の跡の荒涼とした風景を思い出した。 カメラを下げていた。北側から木場公園に入り仙台堀川と葛西橋通りの上に架かる現代的な木場公園大橋を渡ろうとしたら、橋のたもとに座っていた一人の老人が僕を手招きして、声をかけてきた。近寄ると彼は僕のカメラを指さして、スカイツリーを撮るならその橋の真ん中からがいちばんいいと教えてくれた。後ろを振り返ると北の方角にスカイツリーが見えた。木場公園からスカイツリー見えるということなど頭になかったので、意外なことに驚き、その老人に感謝した。老人は,暇を持て余している感じだった。スカイツリーは現在350mぐらいの高さまでできているが,完成すると600mになるから、ちょうど今の倍の高さぐらいになるだろうと追加説明をしてくれる。 木場公園には2年ぐらい前に来たことがある。南北に分かれている木場公園をつなぐ橋は現代的な風景として記憶に残っていたが、スカイツリーが加わってさらに現代的な風景に変わっていた。 東京という街は2年も経つと風景が大きく変わることが珍しくないことを改めて感じたのであった。
先週末、用があって仙台へ出かけた。土曜日は時間が空いたので、街を歩いた。青葉通りを西へ向かって行くと「良覚院丁庭園」という表示板が出ていたので行ってみると、庭園の中の茶室「緑水庵」ではコンサートが開催されるようだった。予約なしでも聴けるということなので茶室に入った。バイオリン2台とチェロのトリオのコンサートで、ハイドンの「弦楽トリオのためのディヴェルティメント第12番変ロ長調」のほか、ポピュラーな曲も含めて小曲が8曲。聴衆は50人ほど、座布団に座って聴く。障子を開け放った外には新緑の庭。空気は冷たかったが、弦楽の響きと凛とした冷たい空気との不思議な調和を感じさせた。
コンサートのあと足を伸ばして宮城県美術館へ。この美術館は館内にある佐藤忠良記念館が好きで機会があるたびに訪れている。忠良さんの作品はストレートに僕の感性を刺激する。みずみずしく清冽な女性像、あどけなさと純真さに包まれたこども像、その人の持つ個性と本質を見事に表現した頭像など、どれも像の前に立つと釘付けにされる作品ばかりで、何度足を運んでも見飽きることはない。作品の一部はたまたま川越市立美術館の「佐藤忠良展」に出展していて見ることはできなかったが、不満を感じることはなかった。 コンサートと美術館。この日の仙台は文化の香りに包まれているような感じだった。 < 前のページ次のページ >
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