朝刊と一緒にきょうは「最高裁判所裁判官国民審査公報」という総選挙の際に届くいつもの資料が届いた。この国民審査の制度のことは当然知ってはいるのだが、いつも公報は斜め読みするだけなのでこれが届くたびに恥ずかしい思いがする。この公報を熟読あるいは精読している人はいったいどのぐらいいるのだろうかとそのたびに思う。国民の多数はきっちりと読んで判断し、総選挙の投票の際に意思表示をするのだろうか。もし多数の人がそうだとしたら、国民の権利と義務をサボっているようで僕は劣等感を感じないわけにはいかない。しかし、この制度は制度として意味があるのだろうか。
ひとりひとりの判事の経歴や業績などを読んでも、日ごろ最高裁の判決についてあまり注意を払ったりしていない僕には信任すべきかどうかよく判断できない。しかし、裁判員制度が始まって、多くの人が裁判に関心を寄せるようになったのだろうから、今年は今までとは違う結果が出るかもしれない。不信任の方が多い判事が出てくるのかもしれない。
「この国民審査にどのように対応するのか」とか「それぞれの判事についてどう思うか」などと、どうか誰も僕には聞かないでほしい。
明日は、この公報を読み直してみようかな。