ここ数日、「運動会の練習をしていた小学生が熱中症のため救急車で運ばれた」というニュースをよく耳にする。昔はこんなことはなかったのではないかとそのたびに思う。
僕らが坊主頭で遊び回っていた頃は「熱中症」という言葉を聞いたことはなかった。時々親が「帽子をかぶっていけ」と注意はするものの、帽子もかぶらずに遊んでいても、誰も倒れたりするものはいなかったように思う。医学的な裏付けはないのだが、近頃の子どもは生きる力が足りなくなっているのではないかと思う。
また、熱中症という言葉から思い浮かぶのは、真夏の高校野球の選手たちが熱中症などとはまるで縁のない様子で試合をしている姿だ。あんな炎天下で甲子園大会を開催するのは考えなおしたほうがいいなどという意見もあるが、知人の医者の話では彼らは日ごろ猛練習をして鍛えているので、甲子園の試合などは炎天下であっても休んでいるか遊んでいるようなものだと言っているのを聞いたことがある。ということは、小学生たちは日頃の鍛え方が足りないということになるのかもしれない。
子どもたちに生きる力がなくなっているのではないかと思うその原因は生活様式が変わって厳しい環境で過ごす必要がなくなったこと、さらに過保護ともいえる親たちの態度にあるのではないだろうか。
日本人の寿命が伸びているとはいっても、それは生きる力が強くなったためではなく、医療・介護が進歩して、「生かされている」人間が増えた結果だろうと改めて思うのだ。むしろ「生きる力」は衰えているのではないのだろうか。
こんなことを考えながら、きょうは残暑の強い陽射しの中で1万歩のウォーキングをしてたっぷり汗をかいた。冷えたビールぐいっと飲む夕食を頭に描いて歩くと、流れる汗はむしろ気持ちがよかった。